卒園児の保護者です。男の子3人10年間通わせていただきました。
卒園後は校区内でもありたまに先生方と会いお話をする機会があるくらいでした。三男が中学二年生で小児がんを発症しました。
知的障害のある息子でしたが、病名、治療など本人にも理解できるように説明していました。本人に病名も告知していました。本人に伝えた病名は「白血病」と伝えていました。ネット検索すると白血病の治癒率は80%以上と出ていますが、息子のかかっている白血病は難治性の白血病で治癒率はよくありませんでした。息子なりに不安はあったものの、やや楽観的に考えていた面もありました。日々の生活は治療が中心となり、生活環境は一変しました。そんな中で先生方と再び出会い、お話をする機会がありました。
本当に些細な事からの話でしたが、内容は段々と深くなっていきました。
園で小児がん患者・家族など難病児との関わりがあり他機関との連携もこども園とは考えられない奥深いものでした。息子が亡くなるまでの5年間、亡くなった後も5年以上に渡り支援をしていただいています。再発・再々発を起こしての治療で合併症や副作用の発症の連続で不安しかありませんでした。そんな私に親身になってお話を聞いていただきました。
園で行っている講演会に声をかけていただいたり、他機関(医療関係者)を紹介していただいて相談にも付き添っていただきました。以前、セカンドオピニオンに一人で行った事がありますが、帰路の記憶がなかったです。相談内容はそれ程現実を見せられるのですが、付き添っていただいた事により家路へと戻れました。亡くなった後もグリーフケア(身近な人を亡くした)の会に声をかけていただきました。また、園長先生にも亡くした子どもの事を話せました。どうしてもふたをしてしまいがちな話題になりますが、当事者はその子の話がしたくてもできない現実があります。
子どもを知っている人と子どもの事を話せる、再三その場を設けていただきました。何年経っても心が軽くなる事はないと思いますが、話せる場があるという事だけでも心は軽いです。一人自分のからの中に閉じこもってなかった事にしてしまいそうです。でも、園長先生のおかげで息子はしっかり生きていたと感じさせてくれています。息子達三人が園でお世話になり、卒園後も別の形ではありますが、息子の生きた証しを感じています。
昨年より月1回げんき・結愛・げんきこども園で相談会を開催させていただきました。
10年余り家族会に携わって来ました親御さんの悩み、心配事は何年経っても変りません。入院中、復学、再発、就職、結婚と子供が病気にかかると親の悩みが尽きない親、子供達の為に相談する所が必要である、その為に家族会が必要で有る。
そして家族会を支援していただく事が大変ありがたいです。しみじみ感じました。
昨年よりげんき・結愛・げんきこども園さんで相談する室を提供していただいています。小児がんの園児を優先的にしていただいてます。昨年8月には、経験者の会の立ち上げにも、場所を提供していただきました。
経験者の会は、子供達が、親、友達、先生に相談してもなかなか理解が得ないので経験した者同士が相談する方が理解が得られるので、経験者の会を立ち上げました。
お陰様で当日先生方に協力していただき、沢山の子供達が集まり楽しい1日に成り、親も親睦にも成りました。
このように協力、支援していただく事で家族会が活発に成りました。
小児の家族会は沢山有りますが、我々は、お陰さまでげんき・結愛・げんきこども園さんにご支援いただいているので子供、親達に良い環境で活動出来てます。
大変感謝してます。
今後共、支援いただきながら家族会を運営して行きます。すべてはこども達の為に頑張ります。
小児がんファミリー コスモの会 代表 大嶋 奈緒美
※ 許可をいただき掲載させていただいております。
私の息子は2年間げんき保育園、結愛・げんき保育園に通い本日卒園式を迎えることができました。あっという間にすぎた2年間でした。その中で、本日はハンディのある子を持つ親として、保育園での経験をお話しする機会をいただきありがとうございます。
私の息子は23週で生まれ、体重は740gしかありませんでした。多くの赤ちゃんが40週前後で生まれ、3000gほどあることを考えると、本当に早く、そして小さく生まれました。4ヵ月間NICUに入院し、その間に心臓の手術も受けるなど、生死をさまよったこともありました。その後は退院し自宅での生活を過ごしていましたが、徐々に発達がほかの子と比べ、遅いことに気が付きました。1歳半の時にした検査で脳にダメージがあることが分かりました。小さく生まれたことで、頭の中で出血が起き、それにより下半身の麻痺が生じ、将来歩行するのは難しいと告げられました。今も一人では立って歩くことはできませんが、手を繋ぐと歩けるようにはなりました。それまでは、漠然と小さく生まれても、その後障害が残るということは考えておらず、大きなショックを受けました。今、振り返るときっとそういったことを考えることを避けていたのだと思います。ですが、この子のためにできることは何でもしたいと思い、毎週のようにリハビリにも通うようになりました。私自身は、大学在学中に息子を妊娠したため、年中の年になるまでは、主人とわたしの家族の協力を得ながら育児と学業の両立を行ってきました。
その中で、4歳を迎える年には、幼稚園の入学を検討しました。市内で、車での通園が可能である園に相談に行きましたが、前例がないということで、入園することは出来ませんでした。入園を拒まれたまま、4歳を過ぎた頃から児童発達支援センターに週3日通園するようになりました。
5歳を迎える年、年中の年には私の就職のため、今度は保育園の入園を検討するようになりました。家からは離れても、それまでにハンディのある子の受け入れ経験があるところをいくつか調べ相談させていただきましたが、いずれも入園許可の返答をいただくことはできず途方に暮れていました。その時、私の在学していた大学の先生にげんき保育園を紹介して頂き、相談させて頂く機会を設けていただきました。先程も申し上げたように、既に何園かには断られていたため、こちらにおいても同じだろうと正直思っておりました。しかし、その際園長先生は私たちの話を熱心に聞いて下さり、労いの言葉もかけてくださいました。そして、「お母さんも働きだして、保育園入園する条件が十分揃っているのにお断りする理由がないです。そして息子のためにも同世代の子とふれあう機会を作ってあげましょう。」との言葉をいただきました。この時のことは本当に鮮明に覚えており、息子をハンディのあるこどもではなく、ひとりの就学前の子として見てくれているのだと本当に嬉しかったです。
げんき保育園で過ごした年中の1年間は、足にハンディがあり移動に困難が生じることを配慮してくださり、1階にある、年長さんの担任の〇〇先生・〇〇先生のクラスで過ごしました。加配の〇〇先生が常に付いて下さり、特に安全面においても安心してお預けすることが出来ました。昼食後までの保育でしたが、同世代と交流することがなかった、それまでの生活と比較すると本人にとってとても刺激のある毎日となりました。また、本人のリハビリにも繋がるようにと、園内では装具を装着し、移動の際には杖や歩行器、そして手を繋いでの歩行をしてくださりました。
年長になってからは、結愛・げんき保育園へと移り、付き添いをしてくださる先生がお一人だけでなくなり、お昼寝もお友達とし、保育時間もおやつのあとまでとなりました。さまざまな活動をお友達と過ごすことで、本人が苦手と感じていることに対しても、積極的に挑戦しようとする姿勢が見られるようになりました。
また、在園中にはリハビリのために毎年大阪へ3ヶ月間ずつ入院していました。田中園長先生と担任の〇〇先生で遠路を面会に来て下さり、ひとりさみしい入院生活の面会でうれしかったと息子が話してくれました。生活における注意点など熱心に確認して下さり、心より感謝しております。
また、運動会、音楽会をはじめとした様々な行事にも参加させていただきました。息子にできることを見極めてくださり、どの行事においても役割を与えてくれました。毎日の生活の中で息子のことをよく見ていてくださっていたからこそ、どこまでの実施が可能か判断していただけたからだと思います。それらは本人にとっての成功体験となり、自信に繋がったに違いないと思っています。
息子がげんき保育園、結愛・げんき保育園で過ごした2年間は彼にとって初めて過ごす集団生活でありました。もちろん、歩けないことをはじめみんなと全く同じように出来ない事も多くあり、お友達もみんなと少し違う息子の存在に戸惑ったと思います。しかし、徐々に困っていることには、積極的に手を差し出してくれるようになったりと、とても優しい心で接してくれるようになり私も嬉しく思いました。
当然、ハンディのある子の受け入れにはいくつものハードルがあると思います。しかし、そういった垣根を越えてくださったことで息子にとっては大きな社会の繋がりの一歩となり、自信となり2年間で心身両面においておおいに成長することができました。
本当に2年間園長先生をはじめとした先生方には大変お世話になりました。4月から小学生となり、そこにおいてもまた、今までとは違った楽しさもある一方、新たな悩みも親子それぞれに生じていくかと思います。しかし、ここで過ごした経験を生かし、息子らしさを失わずに少しずつ一歩ずつ成長できるようサポートしていけたらと思っております。
改めて、息子を受け入れてくださりありがとうございました。
げんき結愛げんきこども園先生方へ
はや三年の月日が流れ、晴れて卒園の日がまいりました。明日から、日常が新しく変化していくことに実感がわきません。三年前、居場所を失った我が子のことで、藁をもすがる思いで園に相談をさせていただいたのが、つい昨日のことのように思います。
ちょうど入園手続きの締め切りが過ぎようとしているタイミングでしたが、親身になって話を聞いてくださり、「お母さん、うちで見てあげますよ。見てあげられます。大丈夫ですよ。手続き上のことだけで・・・どうしようかな、どうしたらいいかな、どうしようかな、どうしたらいいかな・・・」園長先生は、受入れについて一生懸命お考え下さり、どれほど救われた思いだったか、はかりしれません。
悩みの種だったお友達へのトラブルが起こった時には、先生方は丁寧にくみ取って冷静に対応をしてくださいました。少しずつ自分の意思を言葉で伝えられるようになると、お友達との関わりが楽しめるようになり、不明瞭な言葉はあるものの、ぼけやつっこみが好きになるまで成長をしました。登園すると「みんな、ただいま~」と言いながら教室へ入る姿を見て、先生が大好き、お友達が大好き、教室はもう一つの自分のおうち、心からそう思って過ごしていたようです。
園の方針で、病気や障害を受け入れご理解いただけるよう、常々お話下っていたこともあり、保護者の皆さまにもあたたかい眼差しで見守っていただきました。そして、周りのお友達も我が子の特性や性格を子供の目線で理解してくれていて、思いやりのある態度でいつも接し、支えてくれました。大人の姿勢は、子供に伝わるんだなぁと感じる日々でした。理解をしていただけることが、どれほどありがたいことか、感謝の思いでいっぱいでした。
そして、少しでもより良い環境で安心して次のステップへ進めるように、懸け橋をつなぐことも大切にしてくださり、大変感謝をしております。我が子たちは、これまで、園でも、習い事でも、小学校でも、よき先生方に恵まれてきました。不思議ですが、まるで天から舞い降りてきたように、我が子たちを導いてくださるのです。この先に、どんな困難がたちはだかっているかわかりませんし、不安に思えば心配が尽きません。でも、これからもきっと素晴らしい出会いがあると信じ、そしてそのような環境をみつけてあげて、ゆくゆくは自分たちで切り開いていけるように、成長を見守りたいと思います。この御恩は決して忘れません。
先生方におかれましては、ご多忙とは存じますが御身体に気をつけて、ご活躍をお祈りしております。そして寛大で思いやりのある洗練されたすばらしい先生方のもとで、これからも多くの未来ある子供たちが成長していかれますことを願っています。ありがとうございました。
令和2年3月30日
孫がお世話になっております。
保育園に安心して預けることが、出来ています。
先生方は、礼儀正しく、挨拶も気持ちが良いです。
そしていつも笑顔と愛に溢れて子どもたちを守ってくださっています。
仕事で忙しい娘も先生にいろいろ相談しながら、仕事と子育てを両立することが出来ているようです。
私に相談するより園長先生や保育士の先生に相談にのってもらう方が、気持ちが楽になるようです。
保育園のおかげです。何よりも子どもが、毎日喜んで保育園に行って帰って来てから保育園のことを嬉しそうに話してくれるので、
私もそんな孫を見ていて微笑ましく嬉しく思っています。
「保育士になってよかった。」と再び思えたのは、園長先生はじめ先生方の温かさに触れ、子どもたちのかわいさに励まされたからです。
私が以前働いていた職場は、自分のクラスしかみていないという雰囲気がありました。そんな職場で働くことが徐々に苦しくなり、退職を選びました。
保育士として働くことはもう無理かなと悩んでいた私でしたが、げんき保育園で働く知り合いの先生のご紹介により、貴園で働かせていただくことになりました。中途採用で入った私を先生方も子どもたちも温かく迎えてくださり、もう一度保育士として頑張ってみようと思えるようになりました。
げんき・結愛・げんきこども園では、子どもの発達心理、リスクマネジメント、ふれあい遊びなど様々な分野の研修を園内で行っていただいています。
日々の保育を見直し、研修で学んだことを保育に活かせる貴重な機会です。
また、定時に帰ることができ、時間外勤務に対しては手当の支給があり、働きやすい環境が整えられています。
職員全体で子どもたちを見守り、保護者の方と一緒にお子さまの成長を喜ぶという、保育士としてあるべき姿を思い出し、貴園で働かせていただいた時間は、夢をあきらめかけた私にとってかけかがえのないものになりました。